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浜松の旅館浴衣問屋の歴史

弊社のある静岡県浜松市は、全国的にみて旅館関係の繊維製品に携わっている会社の多いところです。

なぜ旅館関係の繊維製品を扱っている会社が多いのか、少し前に某会社の会長さんから昔話を聞きました。もう80歳近い方です。

昔の浜松の旅館関係の会社について、色々と貴重なお話を聞くことが出来ました。

 

先に言っておきますが、こうゆうきちんと歴史を記載しておかないと、「ウチが元祖」とか「ウチが本家」みたいな事を言う会社が出てくるからです。言ったもの勝ちになってしまうのは、苦労して浜松の繊維を培ってきた先輩方に申し訳ないからです。

 

 

昭和30年代、第二次世界大戦の傷跡もだいぶ癒えてきた頃の話です。

浜松には「瀧浜観光」という会社がありました。

自社でホテル・旅館も経営し、他にもレストラン、ドライブインなど様々な観光産業を手掛けていた会社です。

その中の一つの部門として、繊維関連を専門に扱っているところがありました。これが浜松市内で最初に旅館関連の繊維製品を専門に扱うトコロとなりました。

 

 

その当時、旅館やホテルでは近所の主婦が手伝っており、その働いている主婦は一人数室の旅館やホテルの部屋の管理を任されていました。その部屋で使う浴衣は、まとめて旅館やホテルがそろいの柄の反物を購入したのですが、任されている主婦が自分の部屋の分の浴衣を仕立てていたそうです。

当時は、浴衣といえば注染。仕立ては本仕立て。一枚ずつ手縫いで仕立てていたそうです。

お客様が泊まれば、使った浴衣やその他の物も合わせて洗濯をし、また次のお客様のために揃えていたそうです。

 

 

今、旅館やホテルの浴衣、シーツ、カバー、タオルなど繊維製品は、リネンサプライ会社からのレンタルがほとんどです。

ですが今のようなレンタルが出てきたのは、昭和30年あたりから。一般的になったのは、それよりも後の話。

(そういえば昔新潟の古くからやっているリネンサプライの会長さんから、リネンサプライという形ができた当時の苦労話を聞いたことがあります。)

 

 

それまで旅館やホテルに直接浴衣やシーツ、タオルなどを納めていた瀧浜観光の繊維部でしたが、リネンサプライが徐々に増えていったことにより、段々と業績も増えていきました。それに目をつけて、同じ用に旅館関係を始めていったのが、「三幸」という会社です。

その三幸に出入りしていた縫製工場が、昭和30年後半から40年くらいにかけて、「寝間着仕立て(リネン仕立て)」という仕立て方を開発しました。

 

普通浴衣は1反で1枚出来ます。当然10反あれば10枚ですが、寝間着仕立ては10反あれば12枚~13枚できます。

生地の要尺が少なく出来るので利益も上がり、三幸は一躍大きくなりました。(その三幸の旅館。ホテル関係から別れたのが”堀内”さんであり、その”堀内”から別れたのが”竹杉商事”。”竹杉商事”から分かれたのが”タケヨシ””鈴乃屋”であり、弊社も”竹杉商事”から分かれています。)

 

 

当初に挙げた「瀧浜観光」ですが、ホテル・旅館などの観光部門を専門に行うこととし、繊維部門はその時働いていた人たちに譲り渡すという経営転換を行いました。独立した繊維部門は「遠織物産」となりました。「遠織物産」は高度経済成長、バブル景気などを背景にどんどんと会社を大きくしていきましたが、バブルが弾けた後に業績が急激に悪くなり倒産となりました。この遠織物産から分かれたのが”荒商””原田実””ビリーブ”などの会社です。

遠織物産は自社工場を持っていました。

最初はタオル工場「遠織タオル」でしたが、安価な中国製のタオルが大量に入ってくるようになったため、数年で浴衣のプリント工場に変わりました。このプリント工場は旅館浴衣専用の工場です。
プリント工場に変わった後、浜松の染色組合に入ろうとしたのですが、他のプリントを行っている染色工場から「問屋が工場をもって営業を行ったら、こちらの工場が潰されてしまう」ということとなり染色組合には入れなかったそうです。

今、そのプリント工場は、浜松市唯一の旅館浴衣専門のプリント工場としてやっています。

 

 

今でも浜松市では多くの旅館やホテル向けの繊維製品を扱っている会社がありますが、元をたどれば大体3つにまとまります。

 

「瀧浜観光」が儲かっているのをみて同じ様に旅館・ホテル向けの商売を色々な会社で始めたのですが、大きいのが先に挙げた「三幸」他にも「丸京商店」などの会社もありました。丸京商店系列でいえば”ヨコイ”さんがそれにあたります。尚、丸京商店に婿として入ったのは遠織物産で働いていた方だったりします。

 

 

ホテル・旅館関連の繊維業界の変遷を知っている方々が、今辛うじて残っています。

今のうちに色々と聞いておかないと、小さな業界ですのであっという間に消えてしまいます。

消えたところで、勝手に伝統を作った会社が都合の良い歴史を押し付けてきたりします。

 

これからも色々な方々に話しを聞いて、こちらに掲載していきたいと思います。