会社のプランターで育てている「和綿」が、毎日収穫できるようになりました。
和綿とは、日本の伝統的な綿の種類です。
伝統的といっても、稲と同じように元々は日本にはない植物です。今でいうところの「外来種」にあたります。
いつ頃日本に入ってきたのかというと、通説では奈良時代に三河地方に崑崙人が漂着し、綿の種を伝来したとの事です。
崑崙人とは、インド人。漂着したのは、今の西尾市の近辺です。
漂着はしたのですが、綿自体は熱帯性の植物です。
亜熱帯である日本では定着がむつかしく、寒さに強い短繊維の綿の種類がようやく日本に定着できるようになったとの話。
そう、最初は奈良時代に漂着でしたがその後も意図的に綿がたくさん持ち込まれてきたそうです。
弊社で育てているのは、耐寒性のある短繊維の「和綿」と呼ばれる綿。
ちなみに綿は繊維が長ければ長いほうが良い品質となります。
超長綿と呼ばれる最高品質の綿は、世界でもたくさんはありません。
短繊維という劣る品質の綿ですが、その保温性、加工のしやすさはほかの繊維にはないもので、江戸時代以降は綿の栽培がとても盛んになり、中でも綿の先進地である三河地方では「三河木綿」というブランド品が生み出されました。
また綿が育たない地域ではとても高価な物として扱われ、敗れたものでも縫い合わせてまた生地として使われました。津軽こぎん刺し貴重な木綿の生地を長く持たせるための技術でした。
柳田国男の「木綿以前」では、木綿が流通するようになって日本人が風邪をひくようになったとの記述もあり、木綿は日本人の生活を一変させたモノでした。
弊社で育てているのは、上記の「和綿」です。
「綿は肥料も水も日光も、たっぷり欲しがるんだよ。」
ずーっと和綿を育てていた友人が教えてくれましたので、言葉通りに肥料も水もたっぷりと。プランターを置くのは一番日光がよく当たる場所。
実は今年で4年目になる和綿栽培ですが、今までに一番の量がとれています。
この収穫後の綿ですが、綿繰り機にて種を外し、その後は綿打ち、糸紡ぎとなるのですが、未だどうしようか悩み中で、綿繰りまでの作業どまりです。
でも実際に綿を育ててみて、初めてわかることもたくさんあります。
繊維を扱うものとして、綿栽培を行うのは重要なことかと感じています。